


今井智子

声高な扇動はいらない。
「ただの理想」を謳う リアル・ロック・バンド、グレイプバイン。
通算16枚目のシングル“BREAKTHROUGH”は、グレイプバインにとって大きな意味をもつシングルになると思う。これまでのバンド・ストーリーに落とし前をつけ、これからの理想を打ち立てるマニフェスト・ナンバーだからである。
サウンドの基調にあるのは、最新アルバム『イデアの水槽』に通じるアグレッシヴなグルーヴ感だ。デビュー初期は横に大きく揺れるファンクネスを自在にあやつり、聴く者に「めまい」に似た感覚を抱かせてきたバンドだったが、まったく違うバンドになったようだ。西川、田中、亀井、そしてサポート・メンバー高野(キーボード)、金戸(ベース)による五人編成のアンサンブルは鋼の衝撃力を宿している。しかも、それがサビにかけて巨大な飛行船のように浮遊する、そのカタルシスがすばらしい。アメリカ南部を二輪でドライヴするブルース・ロックから、航空工学を駆使したようなフォーミュラへと、サウンドが変貌を遂げている。
一方、田中の歌詞は、言葉の「意味」を重層的につらね、寓意に満ちた世界観を提示している。「苛立ち」「怒り」といった感情を名指しで言いあてているが、果たして何に苛立ち、何に怒りを覚えているのかはわからない。あるいは、その「正体のわからなさ」に苛立っているのかもしれない。また、『イデアの水槽』や代表曲“スロウ”のタイトルを暗示的にちりばめるなど、田中自身がグレイプバインというバンドを対象化しているような印象も受ける。総じて、自問自答が円環する歌詞だといえるだろう。
では、果たして「突き抜ける」とはなんなんだろう? 突き抜けた先にあるのが死ならば、第二のジム・モリソンになることになんの意味があるのだろう?そんな問いを孕んでいるから、この曲は無責任なロック讃歌ではない。ロック幻想と日常の相克、生と死の拮抗、そういった葛藤に自覚的だからである。そこが優れているのである。葛藤に無自覚のままでは、第二のジム・モリソンどころか、ただのアッパラパーである。かといって、葛藤に押しつぶされるようでは、表現などできなくなってしまう。
“BREAKTHROUGH”を聴くと、グレイプバインは葛藤も理想もすべてを背負って転がり続けようとしている、と感じる。この曲は重い。ギターのコード感も、リズムも、ピアノの音色も切迫していてメランコリックで重い。ぼくはその「重さ」を支持する。これが、今の時代にロック・ミュージックに向う彼らの切実さの証しだと思うからだ。
もうひとつ。先にも名前をあげた“スロウ”がTHROW(=投げる)/SLOW(=ゆっくり)というダブル・ミーニングをもっていたことから考えると、この曲はグレイプバイン史上初の宣戦布告と呼べるかもしれない。ブレイクスルー(=突き抜ける)/ブレイクする、という意味の多重構造を読み取ることもできるからだ。彼らは演奏の衝撃度を研ぎ澄ますこともできるし、ポップ・ソングを書いてチャート上位を狙うこともできるバンドだ。彼らほどロック的な破壊力とメロディ・メイカーの天才性をあわせもつバンドは希有である。しかし、それは諸刃の剣であり、彼らのポジションを曖昧なものにもしてきた。めまぐるしく移り変わる時代において負けない代わりに、シーン動向に左右されない代わりに、自分たちの才能自体に引き裂かれてきたのがグレイプバインのバンド・ストーリーだった。“BREAKTHROUGH”はそうした自分たちへの苛立ちと、それでも双方向へ翼を広げることをあらためて宣言したナンバーと言えるのではないか。小さくまとまるのではなく、張り裂けるくらい飛躍しようとする、その「あがき」が痛々しくも美しい。
曖昧さから、本当に断定的な全能感を獲得するための第一歩。それが、このシングルだと思う。
文/ROCKIN'ON bridge 其田

「BLUE BACK」には、リーダー・西原誠(b)の復帰作という側面がある。というのは演奏のみならず、復帰後初の彼が作曲した楽曲でもあるからだ。西原の作曲したシングルはファースト・シングルの「そら」(97年12月リリース)以来になるが、彼自身はシングル云々よりも「自分に曲がまた出せるようになった、っていう事実が何より嬉しい」と語る。そして「一晩で作ってリハスタでせーので録った曲なんです。ライヴで盛りあがれるようにと思って」という本人の言葉どおり、ライヴではもちろんCDで聴いても一気にヒートアップさせられる、あるようでなかったシングルだ(演奏シーンのみで構成されたビデオ・クリップも必見!)。またライヴで盛りあがるといえば、西川弘剛(g)作曲の2曲目「STUDY」(アルバム未収録)もセット・リストに組み込まれること間違いなしのロック・ナンバーだ。最初はダルに、そして曲が進むにつれてギターとヴォーカルがどんどんシャウトし出すこの曲は、ツアーが始まる前にそれこそ“STUDY”しておきたい。
文/大津輝章

最初にイントロを聴いた時、正直に言うと「あ、狙ったな」と思ったんですよ。ロック・バンドが、その認知度を広げるために、バラードを使う、という最終兵器を使ったな、と。でも、そんなうがった見方は、ボーカルが入った瞬間に吹き飛びました。
この曲は、ラヴソングの形を借りて、自分自身を洞察している歌なんですね。「君が好きだ」なんて台詞はどこにも出てこない。確かに、思いを寄せているのであろう(それも、どうも確信が持てないのですが)相手にあてた書簡の形をとっているんですけど、ここに綴られているのは、相手に対する想いではなくて、自分自身の心理の分析といったほうがいいものです。
人は何故、人を好きになるのか? そんなおおげさな命題をかかげても仕方ないのですが、この曲には「人恋しくなる時の心理」が上手く描かれている気がするんです。
若さに夢と希望をふくらませ、未来に立ち向かっていった若者が、ままならぬ日々の暮らしにもがき続けてスタミナ切れをおこし、ふと、自分のたどってきた道を振り返る。そんな時に、僕らだって、ふと、人恋しくなるんじゃないでしょうか。
もしかすると、この書簡の宛先は、昔の女友だちかもしれません。夢を共有していた時代の「戦友」のような女友だち。そんな相手になら、少々弱音を吐いたって平気です。
しかし、この歌の主人公が田中くん自身だとすれば、彼は何故、そして、何に対してもがき続け、そしてスタミナ切れを起こしているんでしょうか?
この曲が「狙った」ものではない、という理由はそこにあります。
彼は、今、自分の立ち位置を再確認して、これから進むべき道が正しいものであるという確信をつかもうとしているに違いありません。
その決意表明として、ラヴソングの形を借りて、自分自身を洞察してみせたんでしょう。
この曲が、後半ダイナミックに展開していくあたりからも、それはうかがえます。
とすれば、「風待ち」というタイトルも、とても暗示的に見えてきます。
彼らは、今、どんな「風」を待っているんでしょうか?
僕らにだって、「風」を起こす事は、できるかもしれません。
文/脇坂一彦

ロックンローラーは寡黙だ、というイメージはどこから生まれたのだろうか?
番組のゲストや雑誌のインタビューに現れた時のGRAPEVINEのメンバーは、確かに、饒舌なタイプとは言えないだろう。過去の記憶を辿ってみても、自分の作品について立て板に水という勢いで語るロックンローラーなど、そうそういなかったはずだ。
でも、それは、彼らが寡黙であるということでは、決してないだろう。いい作品、人の心に食い込む作品は、それ自体が、(いろんな意味で)饒舌なものだから。
GRAPEVINEの生み出す曲は日増しに饒舌になっていく。2年前に発表された曲より、去年の作品のほうがはるかに饒舌だし、新曲を初めて聴いた時の印象より、15回目に聴いた時のほうが、はるかに饒舌にいろんなことを語りかけてくる。
今回の新作「discord」も、見事なまでに饒舌である。
僕らは、自分でも気付かないうちに、一瞬一瞬のうちに、自分の中にあるもうひとりの自分に語りかけている。「俺はどこに向かって進んでいるのか」と。そのプロセスを具現化して見せてくれるのが、田中クンの書く詞の特徴といってもいい。多くの人の場合、そのプロセスは一瞬のもので、次の瞬間にはもう忘れてしまっていたりするものだが、彼の場合、メンバーの持ってきたデモテープを聴いたり、スタジオでセッションしていたりする時に、自問自答のプロセスがフラッシュバックしてきて、リアルに歌詞に再現されるのだろう。
デモテープの音が一度分解され、亀井くんの手でリズムが再構築され、西川くんと田中くんのギターが加わり、そのサウンドの力で、元々あったメロディーにフラッシュバックするように歌詞が乗っかっていく…。そんな想像をめぐらせてみれば、詞を書いて歌う田中くんだけでなく、彼の記憶に訴えかける音をつくり出すメンバーだって、十分に饒舌だ。
「そんな大袈裟なもんやないですよ」と、彼らは言うだろう。僕らは自分たちがカッコイイと思う音を探しているだけなんだ、と。
まさにそれが、ロックンローラーは寡黙だ、なんて言われる由縁だろう。作品そのものが(自分たちの理想を追求した結果として)饒舌なのだから、その作品について聞かれても、今さら言葉にして解説することなんておっくうなだけなのだ。女の子を口説く時には、きっと歯が浮くほど饒舌になるはずなのに。
だから、この際、僕も寡黙になってしまおう。
「イイよ、GRAPEVINEの新曲は」
文/脇坂一彦

グレイプバインの最新シングル“OurSong”は、彼らの未来を明るく照らす楽曲だ。現在、彼らは変革期を迎えていて、前シングル“ふれていたい”では同期をつかってグルーヴの重心を上にもちあげたり、チューンアップを計ってきた。その変革が単なる試行錯誤ではないことを、このシングルは告げていると思う。
これまでの彼らのバラードは、たとえるならば、大きな川の流れだった。スロウ・スピードで流れながら、その底にある泥も見えるというか―――つまり、どこかヘヴィであり、混沌としていたのだ。不協和音のようなギターのコード感、息継ぐ間もない性急なサビ、ディープな歌詞。すべてが指でかき混ぜると濁流にかわりそうな印象を与えた。名曲“スロウ”など、その代表である。
しかし、今回はちがうのだ。イントロのギターが鳴った瞬間から、風のようにメロディとグルーヴが流れていく(もちろんドラマティックなサビにかけて、風速も威力も一気に増すのだが)。どこか淡々としながらも、記憶の中に深くは入り込んでくる。そう、ある意味、もっとも魔法がかった楽曲なのだ。
そもそも彼らの変革とは、1stアルバム『退屈の花』で確立した「重厚で、切ない」という世界観から完全に遠ざかり、新しいサウンド・ストーリーを語りはじめることだった。面白いのは、その変化が決して成熟とか老成ではないことである。だいたい、打ち上げではチンコを出すことをいとわないバンドである。重厚で、切ないだけのパーソナリティではないのだ。くだらなさやプリティさが歌詞やグルーヴに現われるのはごく自然のことだ。つまり、彼らがやろうとしているのは、等身大のグルーヴの獲得だった。音楽を自分の生活に引き寄せることだった。これまでも彼らは自分達のドキュメントを鳴らしてきたと思うが、今は赤裸々なのだ。音楽と自分のカラダが引き剥がせない、双児のような関係にある。
今回のシングル“OurSong”はさらに赤裸々である。ヴォーカルの田中和将が詞・曲を担当。シングルでは初めてであり、彼がこれほど明瞭な言葉でラヴ・ソングを歌うのもめずらしい。恋人に語るように素直な言葉が溢れ、だからこそメロディも自然と、素直に流れていくのだろう。田中のメロディ・メイカーとしての才気、リリック・ライターとしての魂のひん剥き方―――静かな曲だが、気合いはハンパじゃないだろう。
若くして南部ブルースや、UKロックの滋養を吸い込んだグレイプバインの音楽は、ある時代においては王道と呼ぶことができただろうが、今のシーンでは決して王道ではない。2本のギターが饒舌なカラミを見せ、そのスリリングな駆け引きがグルーヴを生む「王道の」ギターロック。あるいはタメの効いた8ビート。そのスタイルにグレイプバインはロマンを見出し続けている。彼らは「王道」にすがっているわけではない。「自分が生きてきた道」を吹き込めば、あらゆる音楽がリアルに響くことを寡黙に証明しているのだ。美しいバラード“OurSong”の魅力は、その確信にこそある。アルバムまで、迷いなく突っ走ってくれることを僕は祈っている。というか信じている。そう聴き手にうながす傑作ナンバーだ。
文/其田尚也(ロッキング・オンJAPAN編集部)

ミストブルーの淋しさを楽しむ時、GRAPEVINEの歌を聞きたくなる。
閉じて完結しているのに、すべての場所に通じている道を歩いている。
そんな感覚が自分で忘れていた、心の回路をどんどん開いてくれるから。
彼らの作り出す「見える音」は、ロックバンドの至福だ。
高まって行くうねりの生み出す官能が、五感を震わせて、いつの間にか見たことのない新しい景色があたしを包んでいる。
新曲「白日」を昨日、初めて聞いた。
ボーカル田中和将の不思議な少年声の魔法に抱かれて、あたしはこんな世界を見ていた。
淡い紫色のフィルターを通して、写真のポジのように反転した色彩。
物狂おしい恋の残り火が、地平線のパノラマを暗い朱色に変え、醒めた眼差しは氷の美しい花を咲かせているベースとギターは生きた海水のように、官能的な感触で全身に絡みつき、星の吐息をドラムが刻む。
そんな光景は、誰かを苦しいほど想って眠れずに迎えた夜明け、トランスと共に訪れるものだ。
耳だけじゃない。身体が「GRAPEVINE」を渇望している。